私は2004年に富山大学医学部卒業後、10年近く市中病院で救急・集中治療・麻酔分野で働いてきた。
他の分野のことはよく知らないが、救急医であれば急性期病院で24時間程度働くとその日担当した患者さんのうち1人くらいが亡くなる。そのため私は今まで多くの患者さんの死亡宣告に立ち会ってきた。だいたい500人くらいはいるだろうと思う。そのように救急外来やICUで亡くなる患者さん(中には自分の子供と同じくらいの年齢の子供さんや妊婦さんもいる)と泣き崩れる患者さん家族を見て、何かもっとできることがあったのではないか?患者さんは死ななくてよかったのではないか?と自問自答することも若いうちは多かった。しかし年を取るにつれてそのような考えは消えていった。(毎日患者さんが亡くなるのを全部自分のせいだと考えていては、おそらくどんな医師も生き残れない。上記のような考え方は多くの救急医がもつ自己防衛反応の一種だろうと私は考えている。)
年を取るとそのような患者さんの死への後悔の気持ちは薄れる一方で、次の患者さんに今の患者さんの死を役立てることができないかと考えることが多くなった。毎日臨床をしていると多くの患者さんが何らかの理由で亡くなるが、中には自分の予想と異なる何かが患者さんに襲いかかり患者さんが死亡する。私はそのような時、何かおかしなことがおこったなと考えるが、それを証明する事ができず、結局次の患者さんの予後を変えることはできず日々自分の力不足を嘆いていた。
そのような中で臨床と研究にバランス良く取り組んでおられたphysician scientistの分子病態学の島岡教授と出会い、「患者さんが予期せず、もしくは理解できない病態で亡くなった時、そこに未知のメカニズムが隠れているのではないかと疑問に思って研究に取り組むのが医師の努めである」という(今まで聞いたこともなかった)言葉を発する麻酔・集中治療医に惹かれて、“Bench to Bedside and Back”を合い言葉に2013 年(卒後10年目近く)に分子病態学の大学院生として島岡教授の下で研究の第一歩を踏み出した。
敗血症患者では最初に過剰な炎症反応が惹起され、その後次第に免疫抑制(麻痺)状態になることが知られている。その免疫抑制状態の時に患者は別の感染症で死亡する。私の研究テーマは、その免疫麻痺の機序に患者血液中の細胞外小胞(100-1,000nm 程度の大きさの粒子)が関与していることを証明することだった。この研究テーマは毎日敗血症の診療にあたり、ICUに入室した患者の病気(例えば肺炎)は良くなったのに体のどこかにいつまでも炎症がくすぶっているのはなぜだろう?という救急医・集中治療医なら誰もが日々感じている臨床の疑問から生まれた研究であり、臨床の疑問を実験室で解決する意義のある研究であった。おそらくこの種の基礎と臨床の融合した研究は臨床と基礎のどちらも経験のあるphysician scientistの指導者のもとでなければ生まれなかっただろうと思う。そしてこの研究を通じて基礎と臨床の両方を学び続けることが医師には絶対に必要だと私に強く認識させた。